■京都は故郷です。元多重債務者相談員コラム
特定非営利活動法人 消費者サポートセンター 相談員
2000年まで、私は京都で会社を経営していましたが、起業をしたのがバブルのまっただ中であり、だれが商売を始めてうまくいく時代だったと思います。
私は、そこで儲けた資金を会社の設備投資と店舗展開に使って、また、莫大な利益を上げることでドンドンと店舗を広げていきました。
東京に店舗を出すと利益の桁が違いました。数千万縁の利益が億の単位となって、生活もそれなりの生活をするようになったのです。
その後も潤沢な資金を使って業務も多角経営となり、本当にいろいろな事業を行いました。
お金が儲かりだすと、いろいろな方が周りを囲むようになっていきました。その中には暴力団と呼ばれるような方もいたと思いますが、見て見ぬふりをしていました。お金があればそのようなものも動かせるような気になってたいと思います。
でもそんな状態は永遠には続きませんでした。
暴力団に会社を乗っ取られる形で会社を追われるようになり、夜逃げ状態となってしまいました。
全てを失って、子供も抱えながら非常につらい時期がありましたが、仕事もなく、サラ金の取り立てや闇金まがいの手伝いをせざるを得ませんでした。
その後、仕事を見込まれて「消費者金融」を立ち上げて社長を努めていました。もちろんオーナーは別にいたのですが、すべて私が取り仕切っていました。
自分で経営しながらサラ金の莫大な利益の構造を知ることとなりました。
しかし、利息に違法性があることも当時は全く知りませんでした。
行政、金融庁の指導も、利息云々の違法性の話はありませんでしたし、貸金業協会や業界団体も違法性は全くないという指導でした。
貸金業の利息に違法性があることやグレーゾーンという言葉さえも知ることとなるのは、当センターの理事でもある「用山」さんに教えてもらいました。
当時、用山さんは大きな債務を負っており、その債務が私の金融会社に譲渡されて、私自身が取り立てをすることになったのです。
結局は債務整理をされて、すべての債務を支払われました。
他の債務も苦労しながら整理されたそうです。
その後に、用山さんは同じ苦労をした方たちの相談をされるようになり、当センターの前身とる任意団体を立ち上げていました。
任意団体とグレーゾーン金利や過払い金の返還などが用山さんの団体から請求されることとなり、結果として自分のしてきたことに違法性があり、国自体もわかっていながら目をつぶっていた事にもショックを受けました。用山さんにも促されて、このままでは、ダメだと考えスッパりと廃業を決めました。
オーナーにすべてを話して、全ての資産を返却して筋を通した上で辞めました。
それならばと、用山さんから、経験を活かして、相談員をしてみないかと言われて現在に至っています。
弁護士さんから指導を受け、全国のクレサラの会や研修会に参加して猛烈に勉強をして相談員になりました。
自分の中では、ご迷惑をかけた方の罪滅ぼしとも考えているかもしれません。
たくさんの借金を抱え夜逃げの経験もあるし、取り立て側の経験もあることが今ではとても役に立っています。
そして、今までおそらく少なくとも3000人ぐらいの方の相談を行ってきました。
相談を望まれる皆さんのお役にたてればと、一生懸命にさせていただいています。
是非お声をかけてください。
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